TAPライン:偉大なる遺産

トランス・アラビアン・パイプライン(TAPライン)がサウジアラビア初の産業遺産に認定されました。


  • サウジアラビア東部の油田と地中海を結ぶ全長1,648kmの原油パイプラインは、エンジニアリングとイノベーションが支えた野心的で壮大なプロジェクト
  • TAPラインは、第二次世界大戦後の復興とサウジアラビア北部の開発、アラムコの成長に大きく貢献
  • その役目を終え、サウジアラビア初の産業遺産として正式に認定

Norman Gray |

TAPラインと呼ばれる、サウジアラビア北部の砂漠に位置するトランス・アラビアン・パイプラインは、第二次世界大戦後のヨーロッパへのエネルギー供給を支えた、エンジニアリングの歴史における偉業と言われています。


1950年の操業開始時には世界最長を誇ったこの石油パイプライン・システムは、アラビア湾沿いのアブケイクから1,648km離れた地中海沿いのレバノンのシドンまで、膨大な量の原油を輸送しました。その功績は、サウジアラビア、そしてアラムコの新たな時代の幕開けを象徴するものでした。

しかし、輸送したスチールパイプのトン数や、原油量といった物理的な側面だけでTAPラインを語ることはできません。その成功は、世界中から集められたエンジニア、機械工、技師から成る有能で探求心旺盛なチームの努力の結晶でした。

操業停止から31年、TAPラインはサウジアラビア初の産業遺産として正式に認定され、歴史に名を刻むことになったのです。

計画から実行までの道のり

第二次世界大戦が終結を迎える中、ヨーロッパの復興には、コスト効率が良く安定した原油の供給が不可欠でした。それまでサウジアラビアから地中海へは、スエズ運河を経由し5,800 kmを船で9日かけて運んでいましたが、日数や費用のかさむこの運搬方法では、急増が予想される原油需要に対応できませんでした。

そこで、サウジアラビア東部の油田と地中海とを結ぶ新たなパイプラインの建設計画が持ち上がったのです。

1944年、アラムコと他の国際大手石油会社との合弁事業であるトランス・アラビアン・パイプライン社が設立され、18ヶ月の計画段階を経てスタートしました。しかし、TAPラインはその敷設距離に加え、設備不足、灼熱の環境、険しい地形などから、とてつもなく野心的な事業であり、当時のアラムコがこの時期に下す最大の戦略的決断の一つでありました。

そして1947年、ヨルダン、レバノン、シリア、サウジアラビアにまたがるTAPラインの建設計画は、ついに実行に移されたのです。

壮大な建設プロジェクト

当時の世界最長となるパイプラインをサウジアラビア北部国境州に通すのには、大変な労力がかかりました。

建設資材の物流量も膨大で、30万5千トンものスチールパイプが船で輸送されました。また、1,648kmのパイプライン沿いに6ヶ所のポンプステーションが設置され、舗装もされました。

ポンプステーションはサウジアラビアのナリヤ、カイスマ、ラフハ、バダナ、ツライフ、そしてヨルダンのカリヤタンに設置され、最高地点の海抜907mまで原油が押し上げられように設計されています。そこからヨルダン北部、シリア南部を通り、地中海側のレバノンの港、シドンまでは原油は下り坂を流れていきます。

3年を費やし、1万6千人を超える作業員を動員したTAPライン建設は、1950年9月25日、ついに完成を迎えました。

パイプラインによる業績向上

TAPラインは素晴らしい成果をもたらしました。1950年のアラムコの原油生産量は2億バレルでしたが、1951年はTAPラインがフル稼働した最初の年で、生産量は2億7800万バレルにまで増え、その3分の1以上がこのパイプラインを通って出荷されました。

西側市場にエネルギーを運ぶ、この長いスチール製の動脈は、1950年代におけるアラムコの発展と成長を加速させました。また信頼性が高くコスト効率の良い原油を提供することで、第二次世界大戦後の世界の石油需要に応えたのです。

サウジアラビアの発展

TAPライン沿線は様々な施設が建設されて発展し、サウジアラビアの北部地方は一変しました。最初に建設された6ヶ所のポンプステーション周辺にはTAPラインで働く人々の住居や学校、飲食店などが建設され、新たな地域コミュニティが生まれました。1960年代半ばには、モスク、商業施設、娯楽施設、劇場、運動場など次々と拡大し、5千人を超す人たちが住むようになりました。

TAPラインが閉鎖されてから数十年が経過しますが、TAPラインと共に誕生したこれらの街は今もなお発展を続け、1945年には存在しなかったツライフは、現在ではサウジアラビアの玄関港となっています。

パイプラインは、小規模企業や個人起業家への投資ブームの火付け役にもなりました。1947年から1952年までの間、アラムコとトランス・アラビアン・パイプライン社は1万超の個人事業主に対して4,680万ドル以上の投資を行い、事業の一環として新たな技術や研修の機会も提供しました。

 

ミッション完遂

TAPラインは、よりコスト効率の高い次世代の大型スーパータンカーの開発によりその経済的利点が失われるまで、40年以上にわたりアラムコの石油供給網の中心的役割を担いました。ポンピングは停止しましたが、少量の輸送は1990年まで続きました。

今や世界では50万トンクラスのスーパータンカーが主流となり、TAPラインは停止となり、2001年にはついに完全に原油がパイプから抜かれ、空になりました。

今日のTAPライン

TAPラインの歴史は、当時世界最長のパイプラインに関わり、数々の困難や貴重な経験を共にした労働者や近隣住民の心に深く刻まれています。

2020年12月、サウジアラビアの文化省は、TAPラインを国内初の産業遺産に選定し、またユネスコ世界遺産への登録に向けても調査が行われています。

パイプラインそのものは、TAPライン・ロードと名付けられたサウジアラビア北部の高速道路沿いに並行して今も残されています。現在の使用されていない状態では、タップラインの巨大さゆえに、保存や記念物とするための様々な課題があります。最初にあった主要ポンプステーションはすでに解体されたものの、このパイプラインはアラムコの創造力、ビジョン、決意のモニュメントであり、偉大なる遺産の一つであり続けます。


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